シリーズ「凸凹マップ!」について
シリーズ「凸凹(でこぼこ)マップ!」は、発達障害当事者の人たちの体験談をまとめた連載です。
発達障害は凸(でこ…得意な部分)と凹(ぼこ…苦手な部分)の差が大きい障がいと言われています。
詳しくは発達障害とは何か? 〜法律に基づく3つの特徴〜をご覧ください。
こうした発達障害について、まだまだ世の中には認知されていない現状があります。目には見えづらい障害だからこそ、なかなか周囲に辛さを分かってもらえず、苦しい思いをしている当事者の人たちが多く存在しています。
シリーズ「凸凹マップ!」は、そうした人たちの手助けをするために執筆しました。この連載が、発達障害で悩む当事者、保護者、支援者の人たちの、障害を理解するヒントになれば幸いです。
発達障がい体験談
当事者スーさんのプロフィール

スーさん
- 女性
- ADHD(注意欠陥・多動性障害)当事者
- コールセンター勤務(オープン就労)
ADHDの症状について
よろしくお願いします!
よろしくお願いします。
スーさんは、ADHD当事者でしたね。
お困りの症状はどんなことですか?
とにかく、色んなことを忘れてしまいます。
携帯のスケジュール帳やカレンダーを活用しているのですが、どんなに気を付けてもモレがあって、仕事と生活に影響してしまいます。
なるほど・・・
自分で工夫をしても難しい部分があったのですね。
発達障害の診断は、1年ほど前に受けたばかりなんです。
当時、仕事で悩んでおりまして、それで病院に行きました。
精神面の問題を解決するために受診をしたら、ADHDの診断も同時にもらった形(※)です。
※・・・スーさんのように大人になってから発達障害の診断を受ける大人の当事者の方は多くいます。二次障害による鬱や精神疾患の症状で、心療内科や精神科を受診したところ、発達障害の診断も同時に受けるケースがあります。
参考記事:発達障害の二次障害とは?〜原因・症状・行動〜【予防と対応のステップ】
通知表に必ず書かれた「忘れ物が多い」の一文
診断は大人になってからとのことですが、
子どもの頃のご経験を振り返ってみて、発達障害の症状はどのような感じでしたか?
学校生活のことでいいますと、
忘れ物は毎日していましたね。
宿題も教科書も学用品も、何かしら忘れていました。
毎日!
・・・学校生活にかなり支障が出たのではないでしょうか。
クラスメイトなどの、周りのサポートがあったので、毎回なんとか乗り切っていました。
先生は、強く叱る事はしませんでしたが・・・
通知表には必ず「忘れ物が多い」の一文がありましたね。
「分からない」ことを言い出せないまま、進んでしまう授業
勉強面ではいかがでしたか?
うーん・・・発達障害の症状かは分かりませんが、
正直なところ、授業にはついていけていませんでした。
成績は上中下で言うと本当に、下の下というか。
スーさんは、学習面で難しさを感じていたということですね。
周囲の助けはありましたか?
それが・・・分からないことを言い出すことがどうしてもできませんでした。
人から注目されるのが苦手で、分かっているフリをしてしまうんです。相談できる相手もなく、「分からない」の積み重ねで、どんどん勉強についていけなくなってしまいました。
「なんでボールをぶつけ合うんだろう?」
勉強だけではなく、運動の方も苦手でしたね。
マラソンなどの競技はできたのですが、
リズム感を求められる運動や、特に球技は本当に苦手でした。
あ!他の当事者の方にも聞いたことがあります。
球技が苦手な当事者の方、多いみたいです。
身体操作と脳の関係があるのかもしれませんね。
ドッジボールとか、子どもは普通、大好きじゃないですか。
私は全然良さが分からなかったですね。
「なんでみんな、ボールぶつけ合って喜んでるんだろう?」と、疑問に思っていました。
学校では授業についていくことが難しく、運動面でも苦手なことばかりだったと語るスーさん。
人に話を合わせられない特性のためか、中高ではいじめに遭ってしまうこともあったそうです。
「学校に行くということそのものが嫌だった」と、当時を振り返ります。
多種多様なアルバイトを経験
高校を出てからは、色々なアルバイトをされたそうですね。
テーマパークの受付や飲食店の調理補助、本屋や映画館、駅の売店などを。
色々な業種でアルバイトしました。
柔軟に、色々な仕事にチャレンジなさったんですね!
ただ、上司や同僚と折が合わず・・・
他の人が嫌がる業務を押し付けられたり、陰で同僚達が私の悪口を言っていることを知ってしまったり・・・
それは・・・
しんどいですね・・・
はい。仕事は好きだったのですが、どうしても、こうした人間関係の問題が辛く、辞めてしまいました。
業種を絞らず、多くのアルバイトにチャレンジし、働いたスーさん。
しかし一生懸命に働いても、人間関係の問題が続いてしまい、辞めざるを得ない状況でした。
この時、まだスーさんはご自身の発達障害を知りません。理由も分からないまま、「できない」自分を責めていたそうです。
「常に働いていなければいけない」感覚
辛い時期が続いたそうですが、
どなたか、助けてくれる人はいたんでしょうか?
相談に乗ってくれるような人というと・・・
難しいですね。
そうですか・・・
一番好きだった映画館の仕事を辞めた時に、一度実家に帰りました。
でも、実家にいればいるなりに、色々言われますよね。
生活費をいれて、ちゃんとしなければいけません。
心の傷を癒す時間も、必要だと思いますが、
スーさんは、仕事をしたいという気持ちがとても強いように感じられます。
「常に働いていなければいけない」という感覚がありますね。
「できない私はいらない」と。
自分の居場所を見つけられないまま、大人になった感じがします。
生き辛い気持ちを埋めるためにも、仕事に打ち込む必要があったわけですね・・・
前編まとめ
自身の発達障害を知らないまま、職場で多くの挫折を経験したスーさん。
心に傷を負いながらも、柔軟に、色々な仕事にチャレンジしようとします。
「常に働いていなければいけない」
一生懸命に、社会で生きようとする、スーさんの頑張りの影には、このような自責の思いがありました。
発達障害の診断を受けた後、スーさんはどのように障害と向き合ったのでしょうか?
後編はこちら です。