凸凹マップ!第4回【前編】発達障害体験談〜海外で居場所発見〜

シリーズ「凸凹マップ!」について

シリーズ「凸凹(でこぼこ)マップ!」は、発達障害当事者の人たちの体験談をまとめた連載です。

発達障害は(でこ…得意な部分)と(ぼこ…苦手な部分)の差が大きい障がいと言われています。
詳しくは発達障害とは何か? 〜法律に基づく3つの特徴〜をご覧ください。

こうした発達障害について、まだまだ世の中には認知されていない現状があります。目には見えづらい障害だからこそ、なかなか周囲に辛さを分かってもらえず、苦しい思いをしている当事者の人たちが多く存在しています。

シリーズ「凸凹マップ!」は、そうした人たちの手助けをするために執筆しました。この連載が、発達障害で悩む当事者、保護者、支援者の人たちの、障害を理解するヒントになれば幸いです。

発達障害体験談

当事者うぱるぱさんのプロフィール

うぱるぱさん

  • 女性
  • ASD(自閉症スペクトラム)当事者
  • 教育関係(一般就労)




発達障害全般の症状について

うぱるぱさん、よろしくお願いします!
ASD当事者ということですが、ASDの症状でお困りのことはありますか?

典型的なASDの症状では特にありませんね。
それよりも、発達の偏りというか、局地的に苦手なことがある形です。

と、言いますと……?

大きな困り感としては、国語能力でしょうか。
情報の取捨選択や、要約が苦手なことですね。
おしゃべりをしていても、話の論点が分からなくなってしまいがちです。

ふむふむ。

視覚で情報を受け取るのが苦手で、元々聴覚優位な
言語性IQが130くらいあって、動作性IQが90くらいなんですが、この差も原因のひとつなのかなー、と思ったりしますね。

専門的な用語を交えながら、自身の症状についてうぱるぱさんは語ります。
ご自身では「国語能力」に問題があると仰っていましたが、その話し方はとても論理的で分かりやすいです。
教育関係者ということもあって、発達障害についての見識が深いように感じました。困り感について、とても俯瞰的に見ていらっしゃいます。


大学時代、論文がどうしても書けずに検査して発覚

学生時代に勉強や友人関係などで、お困りだったことはありますか?

高校生ぐらいまでは特に問題という問題はなかったですね。
公立の小中高では、勉強にはついていけてましたし、友人にも恵まれていました。

さっき言った「国語能力」の問題で、たしかに苦手な部分もありましたが、大きな問題にはなっていなかったですね。

しかし……教員を志して教育系の大学に入学したうぱるぱさんは、思わぬところでつまづき、自身の発達障害を知ることになります。

問題が起きたのは、大学4年の頃ですね。
どうしても論文が書けずにつまづきました。

論文が書けないというと、具体的にはどんな状態でしょうか?

論文は、一般的な文章よりもかなりの分量の文章をまとめて、発表するものですよね。
まとめることも、発表することも、本当にできなかったんです。

国語能力の問題が顕著に出てしまいました。
論点も要点も分からずに、全て大事に思えてしまう。
情報の取捨選択や、要約が苦手な私にとっては、論文の難易度は高すぎたんです。

他の学生さん達が乗り越えている論文の壁を前にして、努力しているにも関わらず書けないという状態に直面したうぱるぱさんは、自身の困り感が発達障害のそれに似ていることに気付き、検査をすることにしました。


大学の保健管理センターで支援を受ける

幸い、うぱるぱさんの大学には精神的な症状を支援するための、保健管理センターがありました。
そこで臨床発達心理士の先生に相談をし、発達障害の検査を受けた結果、自閉症スペクトラムの診断を受け多そうです。

診断を受けて、どう感じましたか?

発達障害というものがあることは知っていましたが、
それまでが順調だっただけに、まさか自分がそうだったとは……と驚きました。
卒業まであと1年なのに、どうしようと。

卒業間近の時期に、大きなショックを受けてしまったわけですね。

そうなんですよね。
でも診断名がついたことで、味方が得られたとも感じています。
大学の保健管理センターにいらっしゃる臨床発達心理士の先生には、とてもお世話になりました。

ゼミの指導教官と臨床発達心理士との間で意見が割れる

なるほどなるほど……
診断名がついたことで、卒論のサポートも受けやすくなったと……

それがですね、卒論の難易度は変わらなかったんですよ。

え!?

臨床発達心理士の先生は寄り添ってくださる感じでしたが、ゼミの指導教官の先生は「甘えるな」という感じで……

意見が割れていたんですね。

診断を受けた時、ゼミの指導教官の先生には休学を勧められました。
先生になるための教育系の学部ですから、こういった厳しさも分かるところはあります。しかし当時は辛かったですね。
研究室にいけない状態がしばらくあって、その時期は臨床発達心理士の先生の支援を受けながら、朝から夕方まで大学の学習室で勉強していました。

辛かったでしょうね……

うぱるぱさんの発達障害の辛さに寄り添おうとする臨床発達心理士の先生と、
高いハードルを乗り越えさせるために厳しく接するゼミの指導教官の先生
どちらが正しく、間違っているということはないのでしょう。当事者の症状によって、正解は異なるのだと思います。



ハードルを乗り越えたことが自信になった

本当にしんどかったですが、
色んな方のサポートがあり、どうにか論文を書くことはできました。

ああ、なんとか書き上げたんですね!
本当に良かったですね。

今にして思えば、発達障害当事者にとっては、大学の環境がかなり充実していたのでしょう。
専門知識を持った臨床発達心理士の先生が常駐していたり、学習室があったり、そういったサポートを得られたのは大きかったですね。

ゼミの指導教官の先生は本当に厳しい方でしたが、
論文発表会の時、先生は私の成長を喜んでくれ、「お前ならできると思っていた」と言ってくださいました。

適切な支援を得て、卒論という壁を乗り越えたうぱるぱさん。
当初の予定通り、教員への道を選ぶことにしました。



前編まとめ

今回、取材対象にさせていただいたうぱるぱさん。
診断名はASD(自閉症スペクトラム)でした。お困りの症状はASDというよりも国語能力に関するもので、特に情報の取捨選択を苦手としていたそうです。



教育系大学の4年の頃、論文が書けずにつまづいたうぱるぱさんは、初めて発達障害の診断を受けます。
大学の先生方のさまざまな支援を受けながらも、なんとか論文を書き上げ、うぱるぱさんは教員に就職することにしました。

多くの大学には、発達障害のサポートをしてくれるセンターがあるそうですね。
カウンセリングを受けられたり、病院を紹介してくれたりと、多様な支援が受けられるそうです。
現在在学中の方は、まずそうしたセンターをあたってみてはいかがでしょうか。

後編では、教職に就いたうぱるぱさんの、その後を綴ります。

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