シリーズ「凸凹マップ!」について
シリーズ「凸凹(でこぼこ)マップ!」は、発達障害当事者の人たちの体験談をまとめた連載です。
発達障害は凸(でこ…得意な部分)と凹(ぼこ…苦手な部分)の差が大きい障がいと言われています。
詳しくは発達障害とは何か? 〜法律に基づく3つの特徴〜をご覧ください。
こうした発達障害について、まだまだ世の中には認知されていない現状があります。目には見えづらい障害だからこそ、なかなか周囲に辛さを分かってもらえず、苦しい思いをしている当事者の人たちが多く存在しています。
シリーズ「凸凹マップ!」は、そうした人たちの手助けをするために執筆しました。この連載が、発達障害で悩む当事者、保護者、支援者の人たちの、障害を理解するヒントになれば幸いです。
当事者の方からメールが届く
「発達障害の体験談をまとめたいです」
「取材させてくれる発達障害当事者の方を募集します」
……告知をした時、正直なところ「取材に応じてくれる方はいらっしゃらないのでは」という不安が勝ちました。障害はなかなかデリケートな分野です。
加えて、育ってきた過程を取材するということは、当事者の人は赤裸々な経験を話すことにもなります。
こうした懸念を抱いていた筆者ですが、告知してすぐに一通のメールが届きました。
ADHDとASD当事者の人からでした。
「お役に立てれば幸いです」と、あたたかい一言を添えて。
早速、次の日に取材をさせていただけることになりました。
発達障害体験談
当事者ももんがさんのプロフィール
ADHDとASDの症状について
取材を引き受けてくださり、ありがとうございます!
よろしくお願いします。
まず、ももんがさんのもつ発達障害について、ざっくりとお聞かせください。
ADHDとASDの診断を受けているそうですが、どのような症状でお困りでしょうか。
2つの障害をもっているので、症状が混じり合っている部分もあるかと思いますが、
ADHDの症状では物忘れ、不注意、多動と多弁ですかね。
ASDの症状では0か100か思考、人の感情を読むことが苦手だったり・・・
1日中アリの観察をしていた幼稚園時代
子どもの頃の話をお聞かせください。
発達障害の症状が出てきたのは、いつ頃からでしょうか。
幼稚園にいた時からASDのような症状はありましたね。
ひとりで1日中アリの観察をしたり、
友達の顔よりも友達の家の電話番号の方に関心がありました。数字はハッキリと覚えていましたね。
なるほど・・・確かにASDの症状とよく似ていますね。
Aさんが小さい頃は、まだ発達障害の考え方が浸透する前だったかと思いますが、ご両親はどうしたのでしょうか。
幼稚園の方から、両親に話はあったようです。
具体的な障害名まではいかなくても、「何かあるかもしれない」と。
ただ、両親はこうした特性を「うちの子の個性」と考えて、大人になるまで特に私には何も言いませんでしたね。
中学生までは困り感があまりなかった
その後進学して、お困りのことはありませんでしたか?
中学生くらいまでは特に困らなかったんです。
ノートを取らなくても授業の内容は理解できたので、勉強には対応できていました。
ただ、計画的に何かをやるのが苦手なADHDの特性のためか、宿題は全然できませんでしたね。
宿題の提出が苦手なADHD当事者の方、多いみたいですね・・・
集中にムラがあるんですよね。毎日の宿題もそうですし、夏休みの宿題は提出できたためしがありません。
人間関係の方はいかがでしたか?
小学校高学年の時、いじめにあっていました。
上履きの中に画鋲を入れられたり、
わざと給食をこぼされたりしていました。
ただ自分では、それがいじめだとはなかなか気付きませんでしたね。
画鋲!?
結構あからさまな嫌がらせに感じるのですが・・・ももんがさんはどう感じていたのですか?
うーん・・・
「なんかやな事あったのかなー」と思ってましたね。
自分が嫌がらせされているという感覚はなく、小6になっていじめられていると気が付きました。
「関係性の把握が苦手」というのも、発達障害の特性かもしれません。
ご自身の認識的には、人間関係での困り感は、それほどなかったということですね。
そうですね。
中学生くらいまでは勉強も人間関係も、そのような形で対応できていましたね。
子どもの頃から発達障害の特性は出ていたものの、勉強でも人間関係でも大きな困り感はなく過ごせていたももんがさん。
しかしその後、大きな障壁にぶつかることになります。
ノートが取れないため、一気に勉強が難しくなった高校時代
ただ、高校に進学してから、状況が変わり、困り感が出てきてしまいました。
高校というと、勉強が難しくなってくる頃ですよね。
はい。
勉強の内容が難しくなると、中学までのように頭の中で対応することができなくなってきます。
ノートを取る必要が出てきますが、「先生の話を聞きながらノートを取る」という行為は、マルチタスク能力がなければできないんです。
ノートが取れないとなると、勉強についていくことは・・・
自分自身の能力に悩み始めたのはこの頃からですね。
「宿題や忘れ物の問題は続いていましたが、クラスメイト達は自分の苦手なところを個性として受け入れてくれました。」と語るももんがさん。
しかし、こうした発達障害による問題について、先生達から理解を得ることは難しかったそうです。
高校時代が一番辛かったと、ももんがさんは振り返ります。
努力しても、できないつらさ
診断を受けようと決意したのは、大学時代に始めたアルバイトがきっかけです。
どんなことでお困りだったのですか?
アルバイト先は飲食店だったのですが、あまりにも仕事ができなかったのです。
ケアレスミスがものすごく多かったり、一つの作業をしている時に他の作業を始めてしまい、はじめにしていた作業を忘れてしまったり・・・
なるほど・・・
飲食店というと、かなりマルチタスクが求められる業種ですものね。
仕事は好きだったので、なんとかしたいと思ってできることはやりました。
「やり方をきちんと覚えていないからできないのかもしれない」と思い、仕事先からマニュアルを持って帰って、家で読み込むようなこともしていました。しかし上手くいかなかったですね。
家でもアルバイトのための勉強を・・・
本当に努力されたんですね。
今までも勉強で上手くいかないことはありましたが、それは「自分が真面目じゃないから」なのだと思っていました。
しかしアルバイトを始めて、努力をしても思うようにならない自分自身の特性に気がついたんです。
自身の困り感が、発達障がいの困り感に近いことに気付いたももんがさん。
地域の「自助会」に参加することにしました。
診断を受けて「正直、安心した」
今現在、ももんがさんも発達障害当事者のための自助会を主宰されているそうですね。
「自助会」とは一体どんな場所なのでしょうか?
一言で言うと、「困り感を言語化して話し合う場」ですね。
そこで同じ様な困り感を持っている仲間が見つかり、良い病院を紹介してもらって、発達障害の診断を受けたのです。
診断を受けた時、どのように感じましたか?
正直、安心しました。
今までは姿が見えない恐怖に怯えていたものに、ちゃんと名前がついたんですね。
対処法が分かるようになり、希望が見えた感じがしました。
「障害」と名前が付くことで、ショックを受ける方もいるかと思いますが、
ももんがさんのようにポジティブに捉える考え方もあるのですね。
「障害」の診断を「レッテル」と考えるか、「対処法」と考えるか・・・
成人近くなってから病院を受診し、発達障害の診断を受けたももんがさん。
診断を「対処法が分かるようになった」と前向きに捉え、進むことにしたそうです。
前編まとめ
前編では、ももんがさんの子どもの頃から発達障害の診断を受けるまでを振り返って語って頂きました。
そこからどのようにして発達障害と向き合い、過ごしてきたのでしょうか。
後編では、今のお仕事に就くまでの過程を綴ります。
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